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合田さん、きちよさん こんにちは、崖の石仏についてですが、安政3年(1853年)生まれで昭和の初め83才で亡くなった三好千代松じいさんが石仏を背負ってお棚に入れたそうです。
生家は屋号上モ(じょうも)代々治右衛門を名乗った三階菱の三好一族です。11才の時弟、妹の3人を残して、両親が相次いで亡くなり、母親の里である、合田氏の総本家屋号中上(なかじょう)で大きくなったそうです。明治に入りがんばって打瀬船を2隻持つまでになり、42才で家督を長男に譲り、お寺の世話、お宮の総代をしたりしたそうです。観音さんを信仰し、お不動さんの整備をしています。西国33番の石仏を島の人に呼びかけ世話人として、現在の原型を作っています。その時に崖のお棚に石仏の観音さんを入れてます。 今も「33番」と呼ばれている石仏です。
島四国も熱心で、お寺に千代松じいさんが奉納した1番の石仏があります。滝の宮の鳥居にも名前が刻まれています。6男1女の子宝に恵まれそれぞれの子供達にお不動さん、観音さん等の木彫の仏像を残しています。
千代松じいさんの4男が私の祖母と結婚してますから、孫である私の父親が千代松じいさんのことを書き残しています。崖の石仏の話は小さい頃、船で石門の沖を通る時、聞いた記憶があります。
島四国の石仏、お不動さんの石仏は風化して何も語ってくれませんが、先人達が苦労して整備し、自分達は花見はできないが次の世代のために桜の苗木を植え、参道を整備していった心意気は忘れないようにしたいです。今も島の有志の方々がお不動さんの整備に汗してます。次の世代のために。
私もお不動さんにお参りする海からの道を昔のようにできたらいいなと思い、草刈りを時々してますが、草を刈る回数も少ないので、元の状態に戻り、道が草で覆われています。何とか、整備できればと思ってます。以上 思いつくままに書かせていただきました。
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